十七、研究三昧の野津に仏蹟の巡礼

正法蔵がまた玄奘三蔵に「法師よ、そなたは何年かかってここまでだどりついたか」と尋ねられたのでした。
玄奘三蔵は、「三年を過ぎ、引き続き四年になろうとしています」と答えると、まさにそれは昔見た夢の時期と一致していたのでした。
そこで、玄奘三蔵はますます奇しき暗合(あんごう)に感激して、熱心に正法蔵の講義を聞いたのでした。

『瑜伽論』を三回、その他の大乗の諸論も繰り返し聴講したのでした。
そのために玄奘三蔵はサンスクリット語や因明(いんみょう)(論理学)にも通暁して、自由に様々なサンスクリット語の文が作れるまでになったのでした。

こうして五年にわたる研究三昧の後に、玄奘三蔵は、いよいよまだ見た事がない、東、南、西インドの各地の仏蹟の巡礼に出発したのでした。

まず、ガンガー河に沿って東進し、ついでインド洋岸に沿って南下しつつ、各地の仏蹟を礼拝して、インド半島南部のカーンチープラに至り、さらに半島の西部を巡礼してナーランダー寺に帰ってきたのでした。

この中インド、南インドの旅は、まず、マドラス南方のカーンチープラまでは、その地でスリランカから遁れてきた大正僧ら三百人と会見したというので、おそらく親践したのであろうと考えられます。

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