十九、戒日王(ハルシャヴァルダナ王)

こうして『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』をはじめ、諸学派の教義をきわめた玄奘三蔵は、いよいよ中国に帰って大乗の教えを広めようと、中国への帰国を恩師、戒賢法師に申し出て、その申し出に許可が出たのでした。

しかし、たまたま東インドのクマーラ王から、熱烈なる招請状が送られて、玄奘三蔵はやむなくカーマルーパ国(アッサム西部)に赴いたのでした。

ちょうどそのころに外征から帰った戒日王(ハルシャヴァルダナ王)は、かねてより、玄奘三蔵に会いたいと思っていたので、直ちにクマーラ王にむかって、すみやかに玄奘三蔵をハルシャヴァルダナ王の許に送るよう、命じたのでした。

ナーランダー寺で令名を馳せた玄奘三蔵は、外国人であったせいもあってか、いまやインド諸王の間で非常な人気を博していたのでした。

玄奘三蔵を伴って王都、曲女城(カンヤークブジヤ)に帰ったハルシャヴァルダナ王は、全インドに「諸国の学僧はことごとく曲女城に集まって、チーナの大乗法師の論を聞くように」との勅を出したのでした。

かくして十八か国の王、大小二乗の仏僧三千余人、バラモン教およびジャイナ教の学者二千余人らが集まって、豪華絢爛たる大法論大会が行われたのでした。(巻の第五参照)

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