二十二、玄奘三蔵が持ち帰ったもの

貞観十九年(六四五)春正月七日、長安の太守、房玄齢(ぼうげんれい)らは玄奘三蔵が多数の経典・仏像を持ち帰ったことを聞き、これを運河から都亭駅に移し、翌日、朱雀門(すざくもん)の南に陳列展示したしたのでした。
玄奘三蔵が西域(さいいき)でで蒐集(しゅうしゅう)したのは次の品々なのでした。

一 シャカ如来の肉舎利(しゃり)一百五十粒

二 マガダ国、前正覚山の龍窟留影の金仏像一躯、光座を通じて高さ三尺三寸

三 パーラーナシー国鹿野苑(ろくやおん)の初転法輪像を模造した刻檀の仏像一躯、光座を通じて高さ三尺二寸

四 カウシャンビー国のウダヤナ王が如来を思慕し、栴檀に刻した像の模造檀刻仏像一躯、光座を通じて高さ二尺九寸

五 カピタ国に如来が天宮から宝階を下降される像に擬した銀の仏像一躯、光座を通じて高さ四尺

六 マダガ国鷲峰山に『法華経』などを説かれる像を模した金の仏像一躯、光座を通じて高さ三尺五寸

七 ナガラハーラ国に毒龍を調伏し留められた影像を模した刻檀の仏像一躯、光座を通じて高さ一尺五寸

八 ヴァイシャーリー国に城を巡って行化する影像を模した刻檀の像

九 玄奘三蔵が西域において得た『大乗経』二百二十四部

十 『大乗論』一百九十二部

十一 『上座部経律論』一十五部

十二 『大衆部経律論』一十五部

十三 『三弥底部経律論』一十五部

十四 『弥沙塞部経律論』二十二部

十五 『迦葉臂耶部経律論』一十七部

十六 『法密部経律論』四十二部

十七 『説一切有部経律論』六十七部

十八 『因論』三十六部

十九 『声論』一十三部

総計 五百二十夾 六百五十七部

以上の品々を安置したのでしたが、これらを運ぶのに馬二十二頭を必要としたのでした。

その日、宮司はあまねく諸寺に宝帳・幢帳、供養の具を分かち与えたのでした。
そして明二十八日(八日の誤りか)の朝、ともに朱雀街に集まり、新たに将来された経像を弘福寺(こうふくじ)に迎えるので、それを歓迎せよと命じたのでした。

こうして、これらの経典や仏像は弘福寺に送り込まれたのでした。
一方、玄奘三蔵は洛陽へ行き高麗征伐軍準備中の太宗(たいそう)に会ったのでした。
太宗は玄奘三蔵の国禁を破った天竺行をとがめることなく、生命をかけての求法(ぐほう)の旅を褒め、西域(さいいき)・インドの国情に耳を傾け、高麗遠征にぜひ同行する事を要請したのでした。

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