三十三、その後の玄奘三蔵 十

六十歳のこの年も次の年もひたすら翻訳が続けられたのでした。
そして、龍朔三年(六六三、玄奘三蔵六十二歳)、冬、十月二十三日、遂に『大般若蜜多經(だいはんにゃらみたきょう)』全六百巻が完成したのでした。

玄奘三蔵は合掌し、歓喜して「この経こそまさに国を鎮め、天下の大宝である。衆僧はよろしく各々歓喜勇躍すべきである」と、言ったのでした。

十一月二十九日、玄奘三蔵は弟子窺基を遣わせて翻訳の完了を上奏し、御製の序文を乞うと十二月七日に勅使憑茂が来て、帝が受諾した事を伝えたのでした。

ところで、玄奘三蔵はこの『大般若経』の翻訳に全身の力を使い果たしたらしく、こののち、みずから無常の期が近い事を知ったのでした。

そこで門人たちに「私が玉華寺に来たのは、もともと般若経のためである。今や経典の翻訳も終わり、私の生涯も尽きなんとしている。もし私が死んだら葬儀は質素を旨とし、屍体は草筵(くさむしろ)に包んで山間の僻地にすてるように……」と言ったのでした。

麟徳元年(六六四、玄奘三蔵六十三歳)

正月、玉華寺の人々が玄奘三蔵に『大宝積経』(百二十巻)を翻訳せんことを乞うたのですが、玄奘三蔵は、初めの数行を訳してみたのですが、梵本を収め、「この経は『大般若経』と同じ巻数で、自分の気力はもはやおぼつかない。私の死期は迫り遠くない」と言い、弟子たちと蘭芝谷のに仏像を礼拝し、ついに翻訳の筆を断ったのでした。

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