八、高昌(こうしょう)国

ハミの寺には中国僧が三人いて、中の一人が老僧で、彼は帯も結ばず、跣足(はだし)で飛び出してきて、玄奘三蔵を抱いては嗚咽を発し、それが止まらずに、「今日ふたたび中国の人に会えるとは夢にも思わなかった」と言って涙を流したということです。

このようにしてハミに到着した玄奘三蔵は、高昌(こうしょう)国王の熱意にほだされて、ハミから天山北路に出ようとしていた旅の予定路を変更して高昌国に赴いたのでした。

ところで、高昌国王は玄奘三蔵の学識にすっかりと感服してしまって、ついには玄奘三蔵にぜひ、この地にとどまって、高昌の仏教の総帥(そうすい)になるように要請したのでした。
これには玄奘三蔵も困ってしまったが、三日間の断食で天竺行の決意が固いことを示したのでした。

玄奘三蔵の衰弱に驚いた高昌国王は、玄奘三蔵と兄弟の契(ちぎ)りを結びたいこと、インドからの帰途三年間は高昌国に体際してほしいことを乞うたのでした。
そこで玄奘三蔵もようやく納得して食事をとり、更に高昌国に一か月滞在して、高昌国の人びとに『仁王般若経(にんにょうはんにゃぎょう)』を講釈したのでした。

やがて玄奘三蔵は西域の旅をつづける事になるのでしたが、その時の高昌国王の選別は格別なものなのでした。

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