九、高昌国王の餞別

玄奘三蔵が高昌国を出発するにあたって、国王は、往復二十年の費用として黄金一百両、銀銭三万、綾および絹五百疋(ぴき)や法服三百具、その他衣、靴、足袋それぞれ数個づつ賜ったのでした。
また、別に、馬三十頭、人夫二十五人を支給したのでした。

さらに西突厥(にしとっけつ)の葉護可汗(ヤプクカガン)を始め、西域二十四か国への紹介状を書き、一封書ごとに大綾一疋を贈り物としてつけ、殿中侍史歓信ら通訳官をつけて送り出してくれたのでした。

更に別に高昌国王は綾絹五百疋と果物二車を葉護可汗に献上させたのでした。
このようにおびただしい物資の支給は、高昌国王麹文泰(きくぶんたい)がどれほどに玄奘三蔵を大切にしていたかを物語るもので、当時の公式使節団の物資の動きも示すものとなっています。

玄奘三蔵一行は、天山南路を西へ進み、クチャ国で雪解けを待った後、凌(りょう)山(ベダル峠)を越えて西突厥王の王庭へと向かったのでした。
凌山に関してはアクス北方のムザルト峠とする説とアクス西方八十キロのベダル峠とする説があります。

玄奘三蔵は、凌山を越えてから七日間の山の旅の後に、イシック・クルに出て、湖岸沿いに西北に進んでいるので、実際にはベダル峠を越えたと考えられます。

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