三十、「ヴィラシャーナ国、ジャーランダラ国、僧訶補羅(シムハプラ)国」

また、西北に三ヨージャナでヴィラシャーナ国の都城へ至ったのでした。
三蔵法師はここに二か月余り滞在して、同学の師子光(シムハラシュミ)、師子月(シムハラチャンドラ)の二人が、『倶舎』『摂論』『唯識論』などを講ずるに出会ったのでした。
彼らもやってきて三蔵法師を出迎え、非常に喜んでくれたのでした。
三蔵法師もここで『瑜伽決択(ゆがけったく)』『対法論(たいほうろん)』などを開講し、二か月で終えて辞したのでした。

ここから西北ににゆくこと一月あまり、数か国を経てジャーランダラ国に至ったのでした。
ここは北インド王の都でした。三蔵法師はここに約一か月滞在しました。

ウディタ王は人を遣わせて、三蔵法師を送り、西行二十日余りで、僧訶補羅(シムハプラ)国に至ったのでした。
いしづれも北方の人だったので、教像などを持って三蔵法師とともに帰国することになったのでした。
このようにしてまた二十日余り、山道を進んでいったのでした。

ここは山賊が多いところで、三蔵法師は、賊に略奪されることを恐れ、いつも一人の僧を先に進ませて、もし賊にあったときには、

「われわれは遠い中国から求法(ぐほう)のためにやってきたのです。いま持っているのはすべて経典、仏像、舎利です。どうか人びとよ、擁護(ようご)して異心を起こさないでください」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

と言わせたのでした。

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