三十五、「トカラの故知」

贍部(せんぶ)洲の中で、これほど高い山はなかったのでした。
三蔵法師は、西北より下り、数里ほど行くと、やや平らな所があったので、そこにテントを張って泊まり、翌早朝にまた出発したのでした。

五、六日を過ぎてようやく、山を下り、案●「りっしん篇に旦」羅婆(アンタラーヴア)国に着いたのでした。
ここはトカラの故知(こち)でで、伽藍三か所、僧徒数十人がおり、大衆部の法を学んでいたのでした。
この地にもアショカ王の建てたストゥーパが一つあり、三蔵法師はここで五日間滞在したのでした。

この国から西北に山を下ってゆくと、四百余里で、闊悉多(コーシタ)国に着いたのでした。
ここもトカラの故知であったのでした。
さらに西北に山道を三百余里進んで活国(今のクゥンドゥス)に至ったのでした。
この国はオクサス河のそばにあり、トカラの東界をなしていたのでした。
都城は、河の南岸にあり、ここで三蔵法師は、葉護可汗(ヤブクカガン)の孫に謁見したのでした。
彼はトカラの王となって自ら葉護(ヤブク)と名乗っていたのでした。
三蔵法師は可汗のむもとに一か月滞在し、やがて葉護の護衛に送られて出発したのでした。

商人とともに二日間東行して●「夢の夕が目」健(ムンカン)国に着いたのでした。

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