三十九、「渇槃陀(カッバンダ)国」

渇槃陀(カッバンダ)国の城は、峻嶺(しゅんれい)の上に建てられ、北側にシーター河が流れているのでした。
その河は東方に流れ、遙か彼方の塩沢に入り、その後、地下に潜流して積石山に出て、中国の河源黄河の源流となっているのであったのでした。
渇槃陀の王は、聡明で、建国以来、代々相次いで多くの年月が経たのでした。
自らも脂那堤婆瞿●「りっしん篇に旦」羅(チーナディーヴァゴートラ)(唐では漢の日天種という)であるとて言っているのでした。

王の故宮は今は亡き尊者クマーララータ(童寿論師)の伽藍(がらん)があったのでした。
尊者は●「りっしん篇に旦」叉始羅(タクシャシラー)国(タキシラ)の人で、極めて俊才英明(しゅんさいえいめい)な人であったと言われ、毎月三万二千言を暗誦(あんしょう)し、三万二千字を書き、諸々の方に通じ、著述も盛んに行ったということでした。
そして、数十部の論を書き、いづれも盛んに行ったのでした。
即ち経部の祖師です。当時、東に馬鳴あり、南に堤婆あり、西に龍猛あり、北にこの童寿(クマーララータ)あり、号として四日といい、よくこの世の惑(まど)いを照らしたと言われているのでした。
このようにクマーララータの名声があまりに高かったので、先生が自らタクシャシラー国を討伐(とうばつ)し、彼はこの国を迎えて供養したということでした。

城の東南三百余里に大岩壁があり、そこに二つの石室があったのでした。
中にはおのおの羅漢と滅尽定(めつじんじょう)が入っているのでした。

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