五十一、「恩勅(おんちょく)」

(承前)速(すみ)やかに来(きた)って朕(ちん)と会見せよ。
クスタナ国の僧で梵語および経典を解するものも思いのまま連れて来られよ。
朕はすでに于●「門構えに眞」(ホータン)などの沿道の諸国に勅(みことのり)し、諸国の法師をお送りするように命じた。
人夫も駅馬も不足しないはずである。
敦煌(とんこう)の宮司には流沙で出迎えるように、●●「善におおざと篇」(ぜんぜん)の宮司には沮抹(しょまつ)でお迎えするように命じた」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

そこで三蔵法師も勅を奉じ、直ちに出発することにしたのでした。
出発にあたって于●「門構えに眞」(ホータン)王は餞別(せんべつ)は甚だ多かったのでした。

クスタナの都を出てから東方へ三百余里で、●「女偏に箆」摩(へいま)城(今のウズン・タティ)に至ったのでした。
城内には白檀(びゃくだん)で刻んだ仏の立像があり、高さは、二丈あまり、御姿(おすがた)は端厳で非常に霊応(れいおう)が多いとのことでした。
もし人が病気になると、その痛むところにわり金箔(きんぱく)の像を患部に張ると、病は癒えてしまうということでした。
また、およそ願い事があれば、この像に祈ると大体願いがかなうということでした。

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