十四、「涼州からの脱出」

了承での講義の散会の日には、おびただしい量のお布施が集まり、金銀の貨幣や奴婢(ぬひ)、馬が無数に集まったのでした。
そこで三蔵法師はそのお布施の半分は受け取け仏に灯明を開けて供養をし、残りのお布施は全て涼州の諸寺に寄進したのでした。

そのころ、唐朝の行政はまだ誕生したばかりで、その勢力は西域にはまだ及んでいませんでした。
そのため、人民には外国を旅することを固く禁じたのでした。
当時の涼州都督(りょうしゅうととく)は李大亮(りたいりょう)という人で、彼は勅令に従い、外国への旅を固く禁じていました。

そんな折、たまたま李大亮に向かって、
「いま長安から来て西方の国に行こうとしている僧がいます。どうして行くのか訳は分かりませんが……?」
という人があった。

そこで亮は禁令が破られることを恐れ、法師に会ってどうして涼州に来たのかと尋ねた。
法師は、
「西方へ仏法を求めに行こうと思います」
と答えたので、亮は長安に帰るように迫った。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

当時、涼州には恵威(えい)法師という人がいました。
彼は、河西仏教界の領袖で、よく悟り聡明な人であったということです。
すでに彼は三蔵法師が論理を重んじて、入竺求法(にゅうじくぐほう)の志があることを聞いて喜び、彼は密かに恵琳(えりん)と道整(どうせい)という二人の弟子を使わして、秘密裡に三蔵法師を西方へと送ったのでした。

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