十五、「瓜州(かしゅう)での足止め」

涼州を跡にした三蔵法師は、それ以来公には姿を現わさず、昼に寝て、夜に歩いてゆくことにし、そうこうするうちに瓜州に着いたのでした。
その時に瓜州刺史(しし)独弧達(どくこたつ)は三蔵法師の到着を聞いて非常に喜び、三蔵法師への供養はそれはそれは丁重なものでした。

そこで三蔵法師は西域への道を尋ねたのでした。
すると、ある人が以下のように答えたのでした。

「ここから北へ五十余里行くと瓠蘆(ころ)川があります。この河は下流は広く、上流は狭く水の流れがなかなか急で、深くて渡ことができません。上流に玉門関(ぎょくもんかん)があり、路はかならずここを通ることになります。つまり玉門関は唐の西境(せいきょう)の関門です。門外の西北方に五つの烽火台(のろしだい)があり、そこには監視兵がおります。五烽(ごほう)はそれぞれ百里を隔てており、途中にには水草はありません。五烽の北はすなわち莫賀延蹟(ばくがえんせき)で、伊吾(いご)国(哈密「はみ」)の境であります」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

このことを聞いた三蔵法師は心が愁いて乱れるのでした。
そのうえ、乗ってきた馬も死んでしまい、同計画を立てればよいのか分らなくなっていたのでした。

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