二十七、「野馬泉(やばせん)へ向かう」

第四烽に泊まった三蔵法師は、次の日に出発しました。
第四烽で大きな皮袋と馬麦を送られ、そして、こう注意されたのでした。

「師はどうか第五烽に向かわないように、第五烽の人は粗略なので、異図(わるだくみ)を生ずるおそれがあります。
ここから百里ばかりの所に野馬泉があるから、そこでもう一度水を補給してください」といった。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

ここより先は莫賀延蹟(ばくがえんせき)でした。
長さは八百余里あり、昔は沙河(さか)と言われたところです。
空には飛ぶ鳥はなく、地上には獣一匹すらおらず、ましたや水草は全くありませんでした。
この時三蔵法師はあたりを見わたし、自分の影しか見えるものはありませんでした。
三蔵法師は観世音菩薩と『般若心経』を心に念じたのでした。

かつて三蔵法師が蜀にいた時、体中の瘡(できもの)の穢れで、衣服中が汚れた一人の病人がいました。
三蔵法師は、それを憐み、寺に向かって衣服や飲食を施与させたことがありました。
病人は慚愧してこの法を三蔵法師に与えたのでした。
そこで三蔵法師はいつもこれを誦(よ)み習っていたのでした。

いま沙河を通る事となって色々な悪鬼が三蔵法師の周りを巡って前後するのに出会ったのでした。

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