四十一、「三蔵法師の謝意 二」

前回の続きで三蔵法師は次のように謝意を続けます。

玄奘はよい宿縁にめぐまれ、幼くして仏門に入りました。
笈を負い、師に従って、まさに二十四年になろうとし、この間、名高い賢人や優れた友と、つぶさに議論をつくしました。
大小乗の宗はほぼ一覧することはできましたが、いつも経典をとっては躊躇し、失望しないことはなく、給園(祇園精舎)を望んでは足をつまだて、鷲嶺((じゅれい)霊鷲山(りょうじゅさん))を思っては想いを馳せぬときはありませんでした。

そして願わくは一度は拝臨(はいりん)して、多年の惑いを申し述べたいと思っておりました。
しかし寸管(すんかん)は天を窺がうことはできず、小蠡((しょうれい)木の心をかむ虫)は海を酌むことができないことが分かりました。

そこで、装束して旅に出て道を行き、だんだん進んでついに伊吾に至りました。
伏して思うに大王は大地を淳和(じゅんわ)を受け、陰陽(いんみょう)の気を資とし、衣を垂れて主となり、人民の子育(しいく)し給う。
東は中国に至り西は百戒(ひゃっかい)の民を愛撫し、楼蘭(ろうらん)・月氏(げっし)の地、車師(しゃし)・狼望(匈奴の地名)の郷も、並びに深い仁愛を蒙り、ともに厚徳(こうとく)に霑(うるお)っております。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

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