四十三、「三蔵法師の謝意 四、そして西域への出立」

三蔵法師の謝意はなおも続きます。

もしまことに天竺入りを果たすことができたなら、それはまさに王の御恩のおかげです。
そして後にいろいろな師に会い、正法(しょうぼう)を受け継げば、帰国に翻訳して、未聞の経典を弘布(ぐふ)し、邪見の林を切り、異端の穿鑿をを絶ち、教化(きょうげ)の遺漏を補い、仏門の指南を定めましょう。
願わくば私のささやかな功業が王の殊沢(しゅたく)に答えてほしいものです。
しかし前途ははるかに遠く、久しく留まることはできません。
明日辞し去らんとすれば、ますます別れの悲しみが増し、とうてい堪えられません。謹んで感謝を上奏いたします。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

以上が三蔵法師の高昌の王並びに庶民に対しての謝意全文です。

この三蔵法師の謝意に対して王は、
「法師と私はすでに許しあって兄弟となった間柄です。つまりこの国に蓄えるものは、みな師と私は共有物です。どうして感謝される必要がありましょう」
と答えた。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

三蔵法師の出発の日、王は諸僧、大臣、一般の人びととともに都を傾けて見送り、高昌城の西に進んだのでした。
王は三蔵法師を抱いて慟哭し、道俗みな悲しんで、三蔵法師との別離を悲しむ声は、郊外に広がったということです。
王は王妃や人民たちには、勅(みことのり)して名残惜しい中、還らせ王自身は高僧たちと馬に乗り、三蔵法師を十数里も見送ったとのことです。

三蔵法師が通過した西域の諸国の王が彼を礼重(れいちょう)したのは、全て高昌の王の計らいによるものであったのです。

これから三蔵法師は、西行し、無半城(むはんじょう)、篤進城(とくしんじょう)(トクスン)を過ぎ、この後、阿耆尼(あぐに)国に入ったのでした。

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