六、「蜀での様子」

蜀には多くの高僧が集まっていて、たくさんの仏教の講座である法筵(ほうえん)が開かれていました。
この蜀での法筵によって三蔵法師は、さらに道基と宝暹(ほうせん)の両法師に『摂論(しょうろん)』『毘曇(びどん)』や、道震(どうしん)法師の『迦延(かえん)』の講義も聴講しました。
三蔵法師はここでも寸暇を惜しんで勉励に励み経典の諸部にも精通することになりました。

それではなぜ、天下が擾乱している中で、蜀に高僧が集まっていたかと言いますと、蜀地方のみが物資豊かで平穏だったためです。
そのために天下にいた僧の多くが集まり、講義はいつも数百人にも及ぶほど盛況だったということです。

そんな蜀での暮らしを送っていた三蔵法師は、理智に優れ、そして、その才知には三蔵法師にかなうものはなかったと言います。
その頃になると、三蔵法師の名声は蜀ばかりでなく、呉、荊(けい)、楚(そ)でも知らぬ者はいないほどだったということです。

一方、三蔵法師の兄は、成都の空慧寺に住んでいました。
兄もまた風采は明朗にして俊敏であり、どこか父に似ているところがあったと言われています。
三蔵法師の兄は仏教以外の学問にも通じていました。
兄の講ずるところは『涅槃経』『摂大乗論』『阿毘曇(あぴどん)』でしたが、中国の典籍にも詳しく、とくに老荘に通じていて、蜀の人々に愛されていたそうです。
その理智は三蔵法師に引けを取らないということでした。

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