八、「荊州でも説法とその後」

三蔵法師が来たことを大変喜んだ漢陽王『王偏に壞の旁』(かんようおうかい)はすぐに三蔵法師を礼拝したのです。
そんな中、三蔵法師か説法討論を荊州で開くことになったのですが、王は官吏や僧俗や、一芸に秀でた人々を引き連れて、みな説法討論が行われる講堂に集まったのでした。

ここで質問が蝟集し、難問が次々と三蔵法師に投げかけられましたが、三蔵法師はその質問一つ一つに丁寧に答えて、その細部にわたって解釈したので、誰もが納得が行くのでした。
そんな中に、聴取の中には深く悟るものも現れたり、嬉し涙にくれるものがいたりしました。

王もまた心より賛嘆し、お布施が山のように積まれたということですが、三蔵法師はそれらを一切受け取らなかったということです。

荊州での講義が終わると、三蔵法師はまた北方へと赴いて各地の高僧を訪ね回り始めたのでした。
まず現在の河南省彰徳府(かなんしょうほうとくふ)に当たる相州(そうしゅう)においては、慧休(えきゅう)法師に会って三蔵法師が抱いていた疑義を問うたのでした。
また、現在の河南省趙州(ちょうしゅう)に当たる趙州では道深(どうしん)法師に会って『成実論(じょうじつろん)』を学んだのでした。

さらに三蔵法師は長安に赴き、長安では大覚寺(だいかくじ)にとどまり、道岳(どうがく)法師について『倶舎論(くしゃろん)を学んだのでした。

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