三、「三蔵法師の言葉」 一

「法王(シャカ)が教を立てられたのは、あまねく教を流通させるためでした。自分ひとりの心の教えで潤(うるお)すだけで、まだ悟(さと)りをえぬ人をそのまま残しておいていいのでしょうか。しかも中国はそんな野蛮国(やばんこく)ではありません。服装・制度はととのてい、君は聖、臣は忠、父は慈しみ深く子は孝養をつくし、仁義に貴(たっと)び、年長者を尚(たっち)び賢人をうやまう国です。しかも識者は幽微(ゆうび)を明(あき)らかにし、智は神と交じわうほどです。彼らは自然の法則に従って物事をおこない、七星の輝きも彼らの文化活動を蔽(おお)うことができず、機械で時を分かち、六種の音律による音楽による音楽構成を作りました。彼らはまた鳥や獣を用いて鬼神をよび集め、陰陽(いんみょう)を知って万物(ばんぶつ)を安らかにします。仏教が東漸(とうぜん)してからはみな大乗を重んじ、池の澄んだ水のごとく安定し、大乗の盛んなことは百花の咲き乱れるごとくです。衆僧は発心(ほっしん)と行いが十地(無明(むみょう)の惑(まど)いを断(た)ち真如(しんにょ)を証(しょう)する十段階)に達せんことを願い、修行と研学の三身(仏の法身(ほっしん)・報身(ほうじん)・応身(おうじん))に至ることを極致と考えています。しかも大聖(シャカ)はいつも霊を下して親しく法化(ほうげ)をはかられ、われわれは耳に妙説を聞き、目に黄金の真影(しんえい)を拝しているのです。このような国は長い旅路をふんでもなかなかありません。釈尊が行かぬからといって軽んずべきではないと思います」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

巻の第一「生い立ちから西域(さいいき)の高昌(こうしょう)に至るまで」

一、「三蔵法師、八歳の時の逸話」
二、「三蔵法師の幼児期」
三、「三蔵法師の出家」
四、「隋の滅亡、唐の成立」
五、「蜀へ向かい、成都に向かう」
六、「蜀での様子」
七、「二十歳のころの三蔵法師」
八、「荊州でも説法とその後」
九、「長安での三蔵法師」
十、「西域(さいいき)へ向かうという誓い」
十一、「西域へ行くための修養、そして三蔵法師の母の夢」
十二、「三蔵法師の瑞兆(ずいちょう)、そして天竺へ向けて出立」
十三、「涼(りょう)州での三蔵法師」
十四、「涼州からの脱出」
十五、「瓜州(かしゅう)での足止め」
十六、「三蔵法師を追ってきた州吏(しゅうり)とのやり取り」
十七、「達磨(だるま)の夢」
十八、「石槃陀(せきばんだ)との出会い」
十九、「胡人(そどく)の老人」
二十、「弘達との会話、そして西域への出発」
二十一、「胡人(そどく)とのやり取り」
二十二、「「胡人(そどく)との別れ、そして一人旅へ」
二十三、「第一烽へ」
二十四、「第一烽内にて」
二十五、「三蔵法師のお話」
二十六、「第四烽へ」
二十七、「野馬泉(やばせん)へ向かう」
二十八、「三蔵法師、道に迷う」
二十九、「観世音菩薩の慈悲」
三十、「水にありつき、流砂を抜ける」
三十一、「伊吾での歓迎」
三十二、「高昌へ」
三十三、「高昌でのよしなごと」
三十四、「高昌王とのやり取り」
三十五、「高昌王との押し問答」
三十六、「高昌王との押し問答のあらまし」
三十七、「高昌王との和解」
三十八、「高昌王との最後の約束」
三十九、「いよいよ三蔵法師の出立」
四十、「三蔵法師の謝意 一」
四十一、「三蔵法師の謝意 二」
四十二、「三蔵法師の謝意 三」
四十三、「三蔵法師の謝意 四、そして西域への出立」

巻の第二「阿耆尼(アグニ)から羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国まで

一、「阿耆尼の泉の伝説」
二、「阿耆尼(アグニ)国」
三、「屈支(クチャ)国での歓迎」
四、「モークシャグプタ」
五、「モークシャグプタと三蔵法師の論争 一」
六、「モークシャグプタと三蔵法師の論争 二」
七、「屈支(クチャ)国からの出立」
八、「艱難辛苦の末、凌山を越える」
九、「突厥(とっけつ)の葉護可汗(ヤプクカガン)」
十、「葉護可汗(ヤプクカガン)達との邂逅」
十一、「葉護可汗(ヤプクカガン)達との宴会」
十二、「葉護可汗(ヤプクカガン)との話し合い」
十三、「颯秣建(サマルカンド)国への行程」
十四、「颯秣建(サマルカンド)国での様子」
十五、「颯秣建(サマルカンド)国を跡にしてさらに西方へ」
十六、「覩貨羅(トカラ)国での滞在」
十七、「活(かつ)国での滞在」
十八、「ダマルサンガとの邂逅」
十九、「縛喝(バクトラ)国へ出立」
二十、「縛喝(バクトラ)国の様子」
二十一、「プラジュニャーカラとの出会い」
二十二、「プラジュニャーカラとの出立」
二十三、「バーミヤンに至る」
二十四、「バーミヤンの様子」
二十五、「バーミヤンからの出立」
二十六、「シャーラカ(沙洛迦)での出来事 一」
二十七、「シャーラカ(沙洛迦)での出来事 二」
二十八、「迦畢試(カピシー)国での法集と慧性法師との別れ」
二十九、「三蔵法師のその後の道程」
三十、「那掲羅喝(ナガラハーラ)の大城(だいじょう)のストゥーパ」
三十一、「更に南進す」
三十二、「ゴーパーラ龍王の住む岩窟へ」
三十三、「岩窟への途中で賊に遭遇」
三十四、「窟(いわや)での有様 一」
三十五、「窟(いわや)での有様 二」
三十六、「健陀邏(ガンダーラ)国へ」
三十七、「布路沙布羅(プルシャプラ)から布色羯邏伐底(プシュカラヴティー)城へ」
三十八、「布色羯邏伐底(プシュカラヴティー)城から烏仗那(ウジャーナ)城へ」
三十九、「マンガラ)城の周辺域 その一」
四十、「マンガラ城の周辺域 その二」
四十一、「烏鐸迦漢荼(ウダカカンダ)城からタクシャシラー国へ」
四十二、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国へ」
四十三、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国にて その一」
四十四、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国にて その二」
四十五、「僧称法師」
四十六、「学僧たち」
四十七、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国とは」
四十八、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国で作られた仏教の奥義の数々、そして再びの出立」
四十九、「盗賊に遭う」
五十、「三蔵法師、村人に助けられる」
五十一、「三蔵法師の答え」
五十二、「七百余歳というバラモン」
五十三、「村人と三蔵法師」
五十四、「東方へ、そして至那僕低(チーナプクテイ)国へ」
五十五、「秣兎羅(マトウラー)国へ」
五十六、「秣兎羅(マトウラー)国からシュルグナ国へ」
五十七、「シュルグナ国から秣底補羅(マテイプ)国へ」
五十八、「秣底補羅(マティプラ)国にて」
五十九、「サムガバドラ(衆賢)論師」
六十、「ヴィマラミトラ(毘末羅蜜多羅)論師」
六十一、「秣底補羅(マティプラ)国からさらなる旅へ」
六十二、「カピタカ城寺院内にの宝階」
六十三、「羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国と羯邏拏蘇伐刺那(カルナスヴァルナ)国」
六十四、「天下の平定」

巻の第三「阿踰陀(アヨードヤー)国から伊爛拏(イーリヤ)国まで

一、「阿踰陀(アヨードヤー)国へ」
二、「賊にあう 一」
三、「賊にあう 二」
四、「賊にあう 三」
五、「賊にあう 四」
六、「賊にあう 五」
七、「鉢羅耶伽(プラガーヤ)国からコーシャンビー国」
八、「コーシャンビー国の様子」
九、「ヴィシャ国から室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国へ」
十、「室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国 一」
十一、「室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国 二」
十二、「室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国からカピラヴァストゥ国へ」
十三、「カピラヴァストゥ国から藍摩(ラーマグラーマ)国へ」
十四、「言い伝え」
十五、「如来涅槃の地」
十六、「釈尊の涅槃、そして、バラーナシー国へ」
十七、「鹿野(ろくや)伽藍 一」
十八、「鹿野(ろくや)伽藍から戦主(せんしゅ)国、そして、吠舎釐(ヴァイシャーリー)国へ」
十九、「吠舎釐(ヴァイシャーリー)国」
二十、「摩掲陀(マガダ)国 一」
二十一、「摩掲陀(マガダ)国 二」
二十二、「摩掲陀(マガダ)国 三」
二十三、「摩掲陀(マガダ)国 四」
二十四、「摩掲陀(マガダ)国 五」
二十五、「摩掲陀(マガダ)国 六」
二十六、「摩掲陀(マガダ)国 七」
二十七、「摩掲陀(マガダ)国 八」
二十八、「摩掲陀(マガダ)国 九」
二十九、「摩掲陀(マガダ)国での修行」
三十、「ナーランダー寺 一」
三十一、「ナーランダー寺 二」
三十二、「ナーランダー寺 三」
三十三、「ナーランダー寺 四」
三十四、「ナーランダー寺 五」
三十五、「ナーランダー寺 六」
三十六、「ナーランダー寺 七」
三十七、「ナーランダー寺 八」
三十八、「ナーランダー寺 九~阿難と迦葉~」
三十九、「大衆部(だいしゅぶ)」
四十、「王舎城(おうしゃじょう)」
四十一、「ナーランダー寺周辺」
四十二、「僧婆(ハンサ)に纏わる話」
四十三、「ナーランダー寺での出来事」
四十四、「さらにナーランダー寺にて」
四十五、「梵書(ブラーフマン)について 一」
四十六、「梵書(ブラーフマン)について 二」
四十七、「梵書(ブラーフマン)について 三」
四十八、「梵書(ブラーフマン)について 四」
四十九、「カポータ(迦布徳)伽藍近くの景勝地へ」

巻の第四「瞻波(チャンパー)国から迦摩縷波(カーマルーバ)国まで

一、「瞻波(チャンパー)国」
二、「ジャングルに纏わる言い伝え 一」
三、「ジャングルに纏わる話 二」
四、「ジャングルに纏わる話 三」
五、「カジャンガラ国、奔那伐弾那(プールナヴァルダナ)国、羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国」
六、「羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国、サマタタ国」
七、「サマタタ国、室利差怛羅(シュリークシェートラ)国、迦摩浪迦(カーマランカ)国」
八、「耽摩栗底(タームラリプテイ)国から師子(シンハラ)国へ」
九、「烏荼(ウダ)国、師子(シンハラ)国、恭御陀(コーンゴーダ)国、カリンガ国」
十、「カリンガ国、コーサラー国」
十一、「龍猛菩薩とテーヴァ菩薩」
十二、「コーサラー国、安達羅(アンドラ)国、駄那羯磔迦(ダーニャカタカ)国」
十三、「駄那羯磔迦(ダーニャカタカ)国の二人の論師」
十四、「珠利耶(チョールヤ)国」
十五、「達羅毘荼(ドラヴイダ)国」
十六、「シンハラ国の王の死」
十七、「マラクタ国」
十八、「シンハラ国に伝わる話 一」
十九、「シンハラ国に伝わる話 二」
二十、「シンハラ国に伝わる話 三」
二十一、「シンハラ国に伝わる話 四」
二十二、「シンハラ国に伝わる話 終り、そして、その歴史」
二十三、「シンハラ国の別の挿話 一」
二十四、「シンハラ国の別の挿話 二」
二十五、「恭建那補羅(コーンカナプラ)国」
二十六、「摩訶刺侘(マハーラタ)国」
二十七、「摩訶刺侘(マハーラタ)国、バールカツチヤバ国、マーラヴァ国」
二十八、マーラヴァ国の伝説」
二十九、アタリ国、カッチャ国、伐蝋毘(ヴァラピー)国」
三十、「阿難陀補羅(アーナンダプラ)国、スラーシュトラ国、瞿折羅(グルジャラ)国、烏闍衍那(ウッジャイニー)国、擲枳陀(てきした)国、摩醯湿伐羅補羅(マヘーシュヴァラプラ)国、阿点婆翅羅(アウドウムパチラ)国」
三十一、「狼掲羅(ランガラ)国、波刺斯(パールサ)国、仏懍(フルム)国、西女(せいじょ)国、臂多勢羅(パーターシラ)国」
三十二、「臂多勢羅(パーターシラ)国、アヴァンダ国、信度(シンドゥ)国」
三十三、「信度(シンドゥ)国、茂羅三部廬(モーラサンブル)国、鉢伐多(パルバタ)国」
三十四、「鉢伐多(パルバタ)国から摩掲陀(マガダ)国へ」
三十五、「ジャヤセーナ論師」
三十六、「三蔵法師の夢 一」
三十七、「三蔵法師の夢 二」
三十八、「ボードガヤの菩提寺の仏舎利」
三十九、「ボードガヤの菩提寺の仏舎利の神変」
四十、「大徳シムハラシュミ(師子光)」
四十一、「シムハラシュミ、大いに恥じ入る」
四十二、「ウダ国」
四十三、「ウダ国の人びととハルシャヴァルダナ王との対話」
四十四、「順世派のある外道 一」
四十五、「順世派のある外道 二」
四十六、「三蔵法師の論 一」
四十七、「三蔵法師の論 二」
四十八、「三蔵法師の論 三」
四十九、「三蔵法師の論 四」
五十、「三蔵法師と奴僕のバラモン 一」
五十一、「三蔵法師と奴僕のバラモン 二」

巻の第五「尼乾(ニケン)(ジャイナ教徒)の帰国と占から長安の西漕(せいそう)に至るまで

一、「ジャイナ教徒の占卜(せんぼく) 一」
二、「ジャイナ教徒の占卜(せんぼく) 二」
三、「三蔵法師の言葉」 一
四、「三蔵法師の言葉」 二
五、「クマーラ王の手紙」
六、「クマーラ王と戒賢法師」
七、「クマーラ王のもとへ」
八、「クマーラ王とハルシャヴァルダナ王」 一
九、「クマーラ王とハルシャヴァルダナ王」 二
十、「ハルシャヴァルダナ王との会見」 一
十一、「ハルシャヴァルダナ王との会見」 二
十二、「ハルシャヴァルダナ王との会見」 三
十三、「ハルシャヴァルダナ王との会見」 四
十四、「三蔵法師、大王とともに論ずる会場へ」
十五、「会場の様子」
十六、「王の施与(せよ)」
十七、「王の宣布」
十八、「三蔵法師、大衆の間をねり歩く」
十九、「仏牙」
二十、「カルコータ王の斬首」
二十一、「象の振舞いと仏牙の顛末」
二十二、「無遮大施(むしゃだいせ)」
二十三、「大施場(だいせじょう)」
二十四、「施し 一」
二十五、「施し 二」
二十六、「無遮大施の終わり」
二十七、「王とのやり取り」
二十八、「諸王との別れ」
二十九、「王との別れ、中国国境へ」
三十、「ヴィラシャーナ国、ジャーランダラ国、僧訶補羅(シムハプラ)国」
三十一、「タクシャシラー国、カシュミーラ国、信度(しんどう)大河(インダス河)」
三十二、「カピシー王」
三十三、「カピシー王との別れ」
三十四、「険峻な山」
三十五、「トカラの故知」
三十六、「トカラの故知からの出発」
三十七、「達磨悉鉄帝(ダルマステイテイ)国、尸棄尼(シグニ)国、商弥(シャミ)国など」
三十八、「河谷の大龍池」
三十九、「渇槃陀(カッバンダ)国」
四十、「ウサ国 一」
四十一、「ウサ国 二」
四十二、「カシュガル国、瞿薩旦那(クスタナ)国」
四十三、「瞿薩旦那(クスタナ)国の王」
四十四、「クスタナ国の伝説 一」
四十五、「クスタナ国の伝説 二」
四十六、「ヴァイローチャナ 一」
四十七、「ヴァイローチャナ 二」
四十八、「上表文(じょうひょうぶん) 一」
四十九、「上表文(じょうひょうぶん) 二」
五十、「上表文(じょうひょうぶん) 三」
五十一、「恩勅(おんちょく)」
五十二、「三蔵法師、帰路に着く 一」
五十三、「三蔵法師、帰路に着く 二」

玄奘三蔵の生涯と業績

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