十二、「葉護可汗(ヤプクカガン)との話し合い」

三蔵法師に説法を説いてもらった可汗は手を挙げて額をたたき、歓喜して三蔵法師の説いた教えを受けたのでした。

それから三蔵法師は数日底に滞在しましたが、或る時、可汗が、
「法師は印特伽国(インドゥカー(現在のインド))に往かぬほうがいいでしょう。かの地は非常に暑く、十月になってもここの五月と同じです。師の容貌を見ると、どうもインドに行くと病気になりそうです。かの地の人は黒色で、礼儀もなくみるにたえません」
と勧めた。

しかし、法師は、
「いや私がいまインドにゆくのは、ただ聖跡(せいせき)を尋ね、仏法を慕い求めたいためです」
と答えた。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

そこで可汗は自分の軍に命令をして、中国語と西域諸国の言葉が話せる者を探したのでした。
そして、ついに、或る青年が見つかったのでした。
彼はかつて長安に数年いたことがあったので、中国語にも通じていたのでした。
そこで可汗は彼を摩咄達官(まとつカルタン(通訳者))に任命し、、その上可汗は、諸国への通知書を作り、彼に三蔵法師を迦畢試(カピシー)まで送らせたのでした。
また、可汗は、三蔵法師に緋綾(ひあや)の法服一襲(ひとかさね)、絹五十疋(ひき)を送り、そして、可汗自らが軍を率いて十余里を見送ったのでした。

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