十九、「縛喝(バクトラ)国へ出立」

そのときたまたま、バマトラから僧侶数十人が来ていて、「口篇に旦」度設が死んで子が即位したことを聞いて、ともにやってきていて弔慰していたのでした。
そこで三蔵法師は、彼らに会ってこの後、どうしたらいいのか尋ねると、彼らは次のように述べたのでした。

「それは私たちといっしょに行くべきですよ。バクトラから天竺へのいい道があります。もしもまたここへ戻ってきたら、無駄に迂回するものですよ」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

そこでその言葉に従って設(シャド)と別れ、乗り物を雇って僧たちとともにバクトラに向かったのでした。

バクトラに着いてみると、その城邑(しょうゆう)は実に立派なもので、オアシスも豊かなもので、誠に素晴らしい土地であったのでした。
伽藍も百か所もあり、僧徒は三千人余りで、みな小乗を学んでいたのでした。

城外の西南に納縛(ナヴァ)伽藍(唐では新という)があり、その装飾はこれ以上ないほどに素晴らしいものでした。
伽藍内の仏堂には容量一斗余りの仏の洗面所や、長さ一寸、広さ八、九分の仏歯(ぶっし)があったのでした。
その色は黄白色で光沢があったのでした。
また、仏が用いたと言われていた箒(ほうき)もあったのでした。

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