四十八、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国で作られた仏教の奥義の数々、そして再びの出立」

まず、ウパデーシャ論(「烏におおざと篇」波第鑠論)十万頌(じゅ)を作り、スートラ蔵(須●「口篇に旦」●「糸偏に覧」臓教の意)を訳し、つぎにヴィナヤヴィバーシャ論(毘奈耶毘婆沙論、律臓の釈)十万頌(じゅ)作ってヴィナヤ臓(毘奈耶臓)を釈し、つぎにアビダツマヴィバーシャ論(阿毘達磨毘婆沙論、論臓の釈、すなわち「大毘沙論)十万頌(じゅ)作ってアビダツマ臓を釈したのでした。
これらは合わせて、三十万頌、九十六万言にも達したのでした。

王は赤銅(しゃくどう)で銅板を作り、論文を刻んで石函(せっかん)に封入して、そして、大ストゥーパを建ててその中にそれらを納めヤクシャ神に守護させたのでした。

この国の仏教の奥義が明らかなのは、このカニシュカ王の第四結集のためなのでした。

三蔵法師は、丸二年間、この国に滞在してもろもろの経論を学び周辺の聖跡を礼拝し終わったので、辞去したのでした。

カシュミーラ国から西南へ山道渓谷をわたってゆくこと七百里のところで半●「竹冠に奴」嗟(パルノーツァ)国(今のプルーント)に至り、、そして、ここから東南に四百里で、曷邏闍補羅(ラージャプラ)国(北インドとの境、今のラジャオリ)に至ったのでした。
更に東南に山を下り、河を渡って七百余里で磔迦(タッカ)国(北インドの境)に至ったのでした。

このページの先頭へ