三十六、「トカラの故知からの出発」

●「夢の夕が目」健(ムンカン)国の近辺には、阿利尼(アリニ)国、葛邏胡(カラーグ)国、訖栗瑟摩(クリスマ)国、鉢利葛(パリカ)国などがありましたが、いづれもみなトカラの故知だということでした。

ムンカン国から東方に山道を三百余里進むと●「口篇に四」摩●「りっしん篇に旦」羅(ヒマタラ)国であったのでした。
ここもトカラの故知で風俗は突蕨(とっけつ)にによく似ていて、異なっているのは夫人の冠(かんむり)なのでした。
この冠は高さ三尺あまりの木製の角型で、前に二つの枝があり、その人の父母を称しているのでした。
上の枝は父を表わし、下の枝は母を表わしていて、もしどちらが餓死すると方枝を抜き去るのでした。
もし舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)がともに死んでしまえば、この冠は皆捨ててしまうのでした。

ここから東行二百余里で鉢創那(バダクシャーン)国に至ったのでした。
ここもトカラの故知でした。寒さと雪のために、三蔵法師はここに一か月ほど滞在したのでした。

バダクシャーンから東南方へ山道二百余里で淫薄健(インヴァカン)国に着き、さらに東南に険路をゆくこと三百余里で屈浪拏(クラナ)国に至ったのでした。
ここから東北方へ山道をゆくこと五百余里で、達磨悉鉄帝(ダルマステイテイ)国(また護密と名付ける)に至るのでした。

このページの先頭へ