二、幼児期の玄奘三蔵

八歳の時に父から『考経』の教授を受け、「曾子席を避く」という文になると玄奘三蔵は急に襟を正して立ち上がり、父がどうしたのかと聞くと、玄奘三蔵は「いま教訓を受けているのに、安座していられません」と答えたのでした。
父はこのことを大いに喜び、親族にこのことを自慢したといいます。

この逸話は、玄奘三蔵が父から古典を学びながら、温かい中国家庭で育ったことを物語っています。
その頃の中国は、隋末の混乱期に当たり、洛陽やその周辺では内乱が相次いで起こり、陳家も家運が傾いたことは予想するに難くありません。
道宣が書いた『続高僧伝』の玄奘伝によりますと、「玄奘は少(わか)くして窮酷(きゅうこく)にかかりしをもって」兄の長捷(ちょうしょう)法師が洛陽の浄土寺に連れて行ったということです。
そこで、玄奘三蔵は、十一歳で『維摩経』や『法華経』を誦するようになったということです。

大業十二年、玄奘三蔵、十三歳の時、洛陽で十四人の出家志望者の剃髪(ていはつ)をゆるすという勅(みことのり)が出て、志願者は数百人に達したのでした。
玄奘三蔵は、年齢的にその資格がありませんでしたが、どうしても僧になりたかったので、役所の門そばにに立って帰らなかったのです。
すると試験官の鄭善果(ていぜんか)が玄奘三蔵の志とその相貌に感心し、特別に得度を許してくれたのでした。
その後の玄奘三蔵は、ますます仏典の研究に励み、特に景(けい)法師から『涅槃経(ねはんぎょう)』を、厳(げん)法師からは『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』を学んだのでした。

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