二十、帰途

十八日間の大法論も無事に終わって、身に余る栄誉を得た玄奘三蔵は、ただちにハルシャヴァルダナ王に帰国を願い出たのでした。
ところが王は、近く七十五日間の無遮大施(むしゃだいせ)を行うので、ぜひ見物してほしいといってきかなかったのでした。

このときの無遮大施は、まさにハルシャヴァルダナ王一代の盛儀であったのでした。
大施が終わっても王はなかなか帰国を許さなかったのですが、玄奘三蔵の決意が固いのので、ハルシャヴァルダナ王とクマーラ王もようやく中国への出発を許可したのでした。

王は旅費をととのえ、北インドの諸国の王に玄奘三蔵の送迎を依頼し、玄奘三蔵の出発の日には、はるばる数十里も送ってきて別れを惜しんだのでした。

玄奘三蔵は高昌王との約束を慮(おもんぱか)った玄奘三蔵は、南海路をすすめたハルシャヴァルダナ王の好意も断って、ふたたび中央アジア横断の厳しい帰路に着いたのでした。

別れて三日後、玄奘三蔵の一行に砂塵を上げて追いすがった一団があったのでした。
それは別離を惜しんで再度の惜別(せきべつ)をすべく、玄奘三蔵の後を追って慕ってきたハルシャヴァルダナ王とクマーラ王の一行だったのでした。

多くの仏像や経典を携えた帰国の途は往路以上に難行したのでした。

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