三十八、「ボードガヤの菩提寺の仏舎利」

仮に三蔵法師の行為が仏の心に合わななければ、誰があのような霊験あらたかな夢を三蔵法師に見させることができましょうか。
後に永徽(えいき)(六五〇―六五六)の年末になって、やはりハルシャヴァルダナ王は亡くなり、インドは内乱の巷(ちまた)と化し、ともに菩薩のお告げの通りになってしまったのでした。
その有様は唐の使人、王玄策(おうげんさく)がつぶさに見聞しました。

さて、ちょうどこのときは正月の初めであったのです。
西国の法として、毎年この月にボードガヤの菩提寺では仏舎利を出し、諸国の道俗の人びとがみなやって来て礼観(らいかん)するならわしなのでした。
三蔵法師もまた年はジャヤセーナ論師とともに、舎利骨(しゃりこつ)を見に行ったのでした。
あるいは大きくあるいは小さく、大きいのは真珠ぐらいで紅白色に光り輝き、肉舎利(にくしゃり)は豌豆(えんどう)豆大で、赤色で光沢があったのでした。
無数の人びとが香花(こうげ)を奉納し、礼拝が終わると、その舎利は塔中に還す事になっていたのでした。

その日の夜半、ジャヤセーナは三蔵法師とともに昼間見た舎利が大小さまざま出合った事を論じ、

「私がほかの所でみた舎利(りゃり)は、みな米粒ぐらいのものであった。ところがここでみたのは、非常に大きいものだ。そなたはあれをみて疑わなかったか」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

とジャヤセーナが言ったのでした。

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