二十九、「三蔵法師のその後の道程」

三蔵法師はその後東進すること六百余里、黒嶺を越えて北インドに入ったのでした。
そして、濫波(ランパカ)国(今のラムガーン)に至ったのでした。
この国は周囲千余里あまりの国で、この国には伽藍が十余カ所あり、僧徒はみな大乗を学んでいたのでした。
三蔵法師はこの国に三日ほど滞在したのでした。

その後、この濫波(ランパカ)国から三蔵法師は南進し、一つの小さな山についたのでした。
この山の上にはストゥーパがあり、これは昔釈尊が南方から歩いてきて住止(じゅし)したところと言い伝えられていて、のちの人が釈尊への敬慕の末にこの塔を建てたものだということでした。

ここから北の地域はみな蔑戻車(ムレツチヤ)(唐の辺地をいう)という場所でした。
如来は教化(きょうげ)しようとすると、空中を往来し決して地上を歩かないと言われていて、もし地上を歩行し給うと土地が傾いてしまうと言われていたからです。

そこから南へ二十余里、嶺を下り河を渡って那掲羅喝(ナガラハーラ)国(北インドの境、都城は今のジャララバード)に着いたのでした。
大城(だいじょう)にストゥーパがありました。
高さ三百尺で、アショカ王(無憂王)の造るものだということです。
ここは釈尊が第二僧祇(無数の長い時間)のとき、然燈仏(デイーパンカラ)(定光仏(じょうこうぶつ)、錠光仏ともいう)にあって、鹿皮の衣を敷きさらに髪を敷いて泥を蔽い、受記(じゅき)を得たところだということです。

このページの先頭へ