十八、再びナーランダー寺にて

それから先は距離も法学もあいまいで、果たして玄奘三蔵が実際本当に旅をしたのかは疑わしいのですが、ここではそれを通説に従って、南インドは一巡したものと看做します。
この時も玄奘三蔵は、各地で優れた僧に会うと、二、三か月から三年余りも滞在し、症状正量部や因明などを研究したのでした。

玄奘三蔵は、この南インドで学んできた大乗経をさらにひろくインド学術全般の観点から見る事ができたはずで、各地の仏教事情もつぶさに見てきたと思われます。
玄奘三蔵の南インドへの旅は、実際に行われていれば、六三五年(貞観九)から六三八年(貞観十二)頃と考えられます。

このようにして、インド各地の仏蹟巡遊の大目的を果たした玄奘佐奈蔵は再びナーランダー寺に帰ってきたのでした。
そして、再び戒賢法師の命によって『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』などの唯識教学の講義を行ったのでした。
戒賢の説く大乗はもとより、もろもろの諸学を学び、インド論理学も極めた玄奘三蔵は、いまやインドでも第一級の学者とみられ、大乗の徒は玄奘三蔵を大乗天と呼び、小乗の徒は解脱天(げだつてん)と称してもてはやしたのでした。

小乗正量部の学者、プラジュニャグプタの龍樹系大乗教学の師、子光らを論破したのも、この頃であったのでした。

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