六、「羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国、サマタタ国」

羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国には伽藍が十余か所あり、僧侶は三百余人いて、小乗正量部の法を学んでいたのでした。
その他に、三つの伽藍があり、ここの人は乳酪(ヨーグルト)を食べないのであった。
それはここの人びとは提婆達多(デーヴァダッタ)の遺教(いきょう)を奉じて食べないのでした。

都城のそばには、絡多末知(ラクタムリッテイカー)(唐では赤泥という)僧伽藍があるのでした。
ここはかつて、この国にまだ仏教が行われていないとき、南インドの僧が、この国に遊び、●「金篇に葉」腹(ようふく)(学芸多能のために腹が破れぬように腰に銅●「金偏に葉」を巻いた故事)外道(げどう)の邪論を論破したので、国王が建てた寺だとのことでした。

そのそばにもアショカ王の建てたストゥーパがあり、ここは昔、釈尊が七日間説法なされた所なのだとのことでした。

三蔵法師は、ここから東南方に進んで三摩怛●「口篇に屯」(サマタタ)国(中インドの境)に至ったのでした。
この国は大海に臨んでいて、気温も温暖なところなのでした。
ここには伽藍が三十余か所あり、僧徒は二千余人いて、上座部を学んでいるのでした。
また、天神を祀る外道も多かったのでした。

城の近くにアショカ王が建てたストゥーパがあり、ここは昔、釈尊がもろもろの人や天人のために七日間説法なされた所なのでした。

このページの先頭へ