二十五、「施し 二」

二日目は、日天(太陽神)の像を安置し、初日の半分の宝や衣を施したのでした。

三日目は、自在天の像を安置し、日天と同じように供養したのでした。

四日目は、僧侶に施す日で、約一万人の僧が百列に並んで座り、それぞれ金銭百枚、文殊(もんじゅ)一枚、氈衣(せんい)一具に飲食香華(おんじきこうげ)が布施されて、供養が終わって退出したのでした。

五日目は、バラモンに施す日で、二十日余りでことごとく供養が終わったのでした。

六日目は、外道に施す日で、十四日間で供養が終わったのでした。

七日目は、あまねく遠方よりやってきた求者(ぐしゃ)に施す日で、十日間で供養が終わったのでした。

八日目は、もろもろの貧窮(ひんきゅう)孤独の者に施す日で、一か月で供養し終わったのでした。

こうして五年間蓄積した府庫(ふこ)の物資は、ことごとく供養に使用し尽くしてしまったのでした。
ただ、象馬兵器の類は、保管していたが、これは反乱を征(せい)し、国家を守護するためなのでした。
その他の宝貨および王が身に着けていた衣服、瓔珞(ようらく)、耳●「王篇に當」(じとう)、臂釧(ひせん)、宝鬘(ほうまん)、頸珠(けいしゅ)、髻(もどり)の中の明珠(めいじゅ)などは、全て施して一物も残さなかったのでした。

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