三十七、「布路沙布羅(プルシャプラ)から布色羯邏伐底(プシュカラヴティー)城へ」

布路沙布羅(プルシャプラ)の王城より東北には仏鉢をあいた宝台があったのでした。
その仏鉢はその後転々と諸国を渡り今は波刺拏斯(パールサ)(ペルシャのこと)にあるとのことでした。
城外の東南八、九里に高さ百余尺の菩提(ピツパラ)樹があったのでした。
ここには過去の四仏がいづれもその樹下に座ったと言われたところでした。
現在、そこには四如来の臓があったのでした(現在の住劫に千仏が出現すると説かれ、既に釈尊ら四仏が出たという)。
やがて現われる筈の九百九十六仏も、まさにここに座る筈である。

そのそばにカニシュカ王(迦膩色迦)の造ったストゥーパがあったのでした。
高さ四百尺、基部の周囲一理半(約六メートル)、高さ百五十尺、その上に金銅の相輪二十五層が立っていて、その中に如来の舎利が一斛(いっこく)収められているのでした。

大ストゥーパの西南百余歩に白石の像があったのでした。
高さ一丈八尺で北面して立っていたのでした。
この像は霊瑞(れいずい)が極めておおく、時に、夜になるとこの像が大塔の周りを歩き回っているのを見かける人がいたそうです。

カニシュカ伽藍から東北へ百余里行くと、大河を渡って布色羯邏伐底(プシュカラヴティー)城に至るのでした。

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