二十八、「迦畢試(カピシー)国での法集と慧性法師との別れ」

カピシー国の王は学芸を軽んじていて、ただ大乗仏教のみを深く信じているのでした。
そして、その講釈を聞くのを楽しみにしているのでした。
そこで王は三蔵法師と慧性法師を説得して、一大乗寺において法集を行ったのでした。
このカピシー国には大乗の三蔵、秣奴若瞿沙(マヌガゴーシャ(唐に如意声という))、薩婆多部(サルヴアステイ(説一切有部(せついっさいうぶ)))の僧阿黎耶伐摩(アールヤヴアルマン(唐に聖冑という))、弥沙塞部(マヒーシヤーサカ(小乗二十部の化地部(けじぶ)))の僧求那跋陀(グナバドラ(唐に徳賢という))がいて、みなカピシー国の第一人者であったのでした。

しかし、彼らの学は大乗・小乗がそれぞれ別で、広く諸学には通じていなかったので、一方には詳しくても他方には疎く偏っていたものでした。
ただ、三蔵法師はつぶさに各々の学に通じていて、三蔵法師は彼らからの質問に応じ、各々の部門に答えたことで、すべての人びとは三蔵法師の博学に敬服するのでした。

このようにして五日間の法集は終わったのでした。
王は非常に喜び、純錦五疋(ひき)を特別に三蔵法師に授けて、その分の人びとにも施しを行ったのでした。

こうしてシャーラカ寺の安居(あんご)は終わったのでした。
三蔵法師と同行(どうぎょう)していた慧性法師は再びトカラ王に請われてトカラに引き返し、慧性法師と別れたのでした。

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