十二、「コーサラー国、安達羅(アンドラ)国、駄那羯磔迦(ダーニャカタカ)国」

三蔵法師は、コーサラー国には因明(いんみょう)(論理)に精通したバラモンが数多くいたので、一月ばかりここに滞在して、『集量論(しゅうりょうろん)』を研究したのでした。

ここから南方にある大きなジャングルを東南方へ九百余里ゆくと、安達羅(アンドラ)国(南インドの境)に至ったのでした。
城の側には大伽藍があり、広壮で荘厳(しょうごん)も立派なのでした。
その前に石のストゥーパがあり、高さは、数百尺で、アーチャラー(阿折羅、唐に所行という)阿羅漢(あらかん)の建てたものなのでした。
羅漢の伽藍の西南二十余里に、孤立した山があって、上にストゥーパがあり、ここは陳那(デインナーガ)(唐に授という)菩薩が『因明論(いんみょうろん)』を作った所なのでした。

この安達羅(アンドラ)国から南行すること千余里で、駄那羯磔迦(ダーニャカタカ)国(南インドの境)へ至ったのでした。
城の東方の山にプールヴァシャイラ(弗婆勢羅、唐に東山という)僧伽藍があり、城の西の山にアヴァラシャイラ(阿伐羅勢羅、唐に西山という)僧伽藍があるのでした。
これらはこの国の先祖の王が仏のために建立(こんりゅう)したものなのでした。
この建物の構造は大建築の様式を極めており、庭園はこの上なく秀麗で、天神が保護をし、多くの賢聖が住んでいたのでした。

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