十五、金剛座(こんごうざ)の荒廃

冥詳の『大唐三蔵現状法師行状』によれば、カシュミールを出発した玄奘三蔵は、磔迦(タッカ)国→至那僕底(チーナプクテイ)国→劫毘陀(カピタカ)国→羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国→阿踰陀(アヨードヤー)国→阿耶穆●「人編に去」(アーヤムカ)国→数国を経て→室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国→吠舎釐(ヴァイシャーリー)国→摩掲陀(マガダ)国を経て、ナーランダー寺に達しています。

多少省略していますが、玄奘三蔵がこのコースを実際に進んだものと考えられます。

そして『大唐三蔵現状法師行状』にもアーヤムカ国からシュラーヴァスティ国(祇園精舎)やヴァイシャーリーを歴訪したとあるように、玄奘三蔵はマガダ国に着く前に主な仏蹟は一巡したように思われます。
つまり、室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国の祇園精舎、釈尊の生地、カピラ城、仏入滅の地、クシナガラ、初転法輪の地、鹿野苑(ろくやおん)、『維摩経』が説かれたヴァイシャーリーなど次々と巡礼したのでした。

中でも玄奘三蔵の胸を強く打ったのは、釈尊が初めて悟りを開いた菩提樹下の金剛座(こんごうざ)の荒廃ぶりだったのでした。
中インドの各地の聖蹟を巡礼したものの、多くの寺院や遺跡は荒廃していたのでした。

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