二十四、「摩掲陀(マガダ)国 五」

そしてこの観自在菩薩の身体が没っして見えなくなれば、また仏法も滅びるだろうと言い伝えられていたのでした。
いま、三蔵法師がこの地を訪れたときは、南辺の菩薩像は、既に胸まで地中に没していたのでした。

その菩提樹はすなわち、卑鉢羅(ピツパラ)樹でありました。
如来御在世のときには高さ、数百尺であったのですが、このたびたびの悪王(『西遊記』によればアショカ王とその王妃、および後世の設賞迦(シャシャーンカ)王らの名をいう)のために伐採されて、今では高さは五尺足らずに過ぎないのでした。
釈尊がこの樹の下に坐り、そこで悟りを開かれたので、菩提樹というのでした。
樹幹は、黄白色で枝葉は清潤(せいじゅん)であり、秋冬にも葉は落ちず、ただ如来涅槃のときになるとその葉が急に落ち、日がたつにつれてまた青々と茂るのでした。
毎年、涅槃の日には、諸国の王は家来とともに故の樹の下に集い、乳で菩提樹を洗い、燃燈散華(ねんとうさんげ)して落ち葉を集めて帰るのでした。

三蔵法師はここで菩提樹と慈氏菩薩(弥勒(みろく))が作った仏成道(ぶつじょうどう)の像を、至誠を込めて礼拝(らいはい)し、五体を投げ出して悲哀懊悩(ひあいおうのう)し、自ら嘆き悲しんで、

「仏成道のころ、私はどこでどのような人生を送っていたか自分でも分らない。いま像季(ぞうき)(末法の世)にいたって、ようやくこの地を訪れることができた。思うに、私はかくも罪業が深いのであろうか」

と非涙(ひるい)を目にみなぎらせて泣いた。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

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