二、「三蔵法師の幼児期」

前回紹介した『孝経』の逸話後も、後に三蔵法師になるその子は、経典の奥義に触れ、古を愛し、賢人を尊び、そのほかの子供たちと一緒に遊んだり、街に見世物が来ても一度も行かなかったということです。

そして、彼は幼少の時から愛想がよく、父母を敬うことを忘れずに、その行いは心温まるもので、そして真面目であったということです。

そうした幼児期を過ごしていたところ、彼の次兄、長捷(ちょうしょう)は彼の先にすでに出家をしていて、東都(洛陽)の浄土寺に住んでいました。

次兄は弟が仏法を伝える優れた能力に恵まれているとみて、道場につれて行き、経典を読誦しながら学ばせたのでした。
その時、突然、詔勅があり、洛陽で十四人の僧を度(任命)する次第になったのです。

当時の洛陽には学業に優れたものが数百人といて、また、玄奘(三蔵法師)は幼く応募することが出来ず、ただ、役所の門の傍らに立っていた時の事です。
その人選を任されていた官吏は、大理卿(だいりきょう)の鄭善果(ていぜんか)という人で、彼には人の能力を見極める能力に優れていたとのことです。

その鄭善果が玄奘(三蔵法師)を一瞥するや玄奘は特に優れていることを見て取った彼は、
「お前は誰の子か」
と尋ねたのでした。

このページの先頭へ