五十二、「三蔵法師、帰路に着く 一」

伝説によれば、この●「女偏に箆」摩(へいま)城の仏像は、コーシャンビー国のウダヤナ王(●「大里篇に烏」陀衍那)がせ造ったもので、仏が亡くなられた後に、かの国から飛来し、この国の北方にある葛労落迦(クロラカ)に至り、のちにまた自ら移ってここにここに至ったということでした。

また、相伝えていうには、釈尊の法が滅びてしまうと、この像は龍宮に入ってしまうということでした。

●「女偏に箆」摩(へいま)城ら東方へ沙蹟(させき)に入ってゆくこと二百余里で、泥壌(ニヤ)城に着いたのでした。
ここからまた東方へ大砂漠(大流沙)に入ります。
風が吹くと、砂が流れ地上には水草もなく、熱気や魑魅(ちみ)の患(わざわい)が多いということでした。
定まった経路もなく、旅人の往返(おうへん)は人畜の遺骸(いがい)を望んで標識としており、砂は磽●「石偏に角」(こうかく)で歩きにくいのでした。

ニヤ国から四百余里でトカラの故国に至ります。
更に六百余里で折摩駄那(シャルマダナ)(今のチェルチェン)の故国に至るのでした。
即ち沮抹(しょまつ)の地でした。
また東北に千余里で納縛波(ナバパ)(すなわち楼蘭)の故国に至るのでした。
そこから道は輾転(てんてん)として中国にたっしているのでした。
馬に乗って進めるのはここまでだったので、于●「門構えに眞」(ホータン)の使人と駄馬はここから帰らせたのでした。

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