十五、「如来涅槃の地」

沙弥(しゃみ)伽藍の東方へ大林中を行くこと百余里にストゥーパがあって、アショカ王の建てたものなのであった。
ここは太子(たいし)シッダールダが城を脱出し、この地に至った場所で、宝衣、天冠、髻珠(かみかざり)をとって、闡鐸迦(チャンダカ)(釈尊が出家したときの御者)に与えて、城へ帰らせ給うたところなのでした。
また、髪をそらせた処にもみな塔の記があったのでした。

この林を通りぬけると拘尸那掲羅(クシナガラ)国なのでした。
この国もまた荒廃していたのでした。
城内の東北隅にストゥーパがあり、アショカ王の建てたものなのでした。
ここは准陀(チュンダ)(仏に栴檀樹茸を給した人)の邸(やしき)の跡なのでした。
邸内には井戸があり、釈尊に食事を作るために掘ったと言われていて、今も水は澄みきったものなのでした。

町の西北三、四里でアジタヴァティー(阿恃多伐底河、今のラープティー河、唐に無勝という)を渡り、西岸近くに沙羅(シャーラ)の林があったのでした。
その樹は槲(かし)に似て皮が青く、葉は白く光っているのでした。
其処にはほぼ同じ大きさの四対の樹があり、ここが如来の涅槃し給うた処なのでした。

そこには大きな甎(れんが)の精舎(しょうじゃ)があって、内部に北枕に横たわる如来の涅槃像があったのでした。

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