四十二、「カシュガル国、瞿薩旦那(クスタナ)国」

●「人偏に去」紗(カシュガル)国の南に大山があり、龕室(がんしつ)が多くあったのでした。
インドで悟りを開いた人が神通力によってここに棲む人が多いということでした。
そのためにここで寂滅(じゃくめつ)に入る人が多いのでした。
いまもなお三人の羅漢が、この山の巌窟(がんくつ)で滅心定(めつしんじょう)に入ったと言われているのでした。
これらの羅漢は、髪が長くなるので、時に諸僧がおのおのの巌窟に赴いて剃(そ)ってやるということでした。
また、この国には大乗の経典が多く、一部十万頌(じゅ)に及ぶ経典が数十部もあったのでした。

ここから東行すること八百余里で瞿薩旦那(クスタナ)国(唐で地乳という。すなわち俗伝の雅言である。俗に渙那(かんな)国という。匈奴(きょうど)はこれを于遁(うとん)といい、諸胡は豁旦(かったん)といい、インドでは屈丹(くったん)という)に至ったのでした。
この国は沙蹟(させき)が大半であったのですが、五穀はよろしく豊かであったのでした。
毛織物、細毛織物を産出し、職人は美しい織物を織ることができのでした。

また、この地方には白玉の●「翳の羽が玉」(くろ)玉が多いのでした。
気候も温和で、人びとは礼儀を知り学を尊び音楽が好きなのでした。

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