三十、「那掲羅喝(ナガラハーラ)の大城(だいじょう)のストゥーパ」

釈尊が受記を受けてから幾度か劫壞(ごうえ)(世界の破滅のとき)を経たのですが、この遺跡は常に存在し、天はもろもろの花をふらせていつも供養しているということでした。
三蔵法師は、そのストゥーパに赴いて、礼拝しながら塔の周りを回ったのでした。

塔のそばには老僧がいて、三蔵法師に建塔の因縁を説明してくれたのでした。

そこで三蔵法師が、
「菩薩が髪を敷いたときは、遠く第二僧祇のときであった。第二僧祇から第三僧祇に至るまでのあいだに、無量の劫(カルパ)(長い時間)をへて、その一つの劫ごとに世界は壊滅しては、新しく造られたという。劫壞の火災が起こるときには、スメール山(蘇迷蘆山、一名須弥山(しゅみせん))もなお灰燼になるというのに、なぜこの遺跡のみ無傷なのですか」
と尋ねると、老僧は、
「世界が壊れるときには、この遺跡も壊れ、世界がふたたび生まれると、この遺跡もまたもとのように現われたのである。かのスメール山も幾度か壊れながら、また今のように天空に聳えているではないか。聖跡のみがどうして再現されないといえよう。スメール山にくらべて考えれば、全く疑いの余地はないのです」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

と老僧は答えて、三蔵法師はまさしく名答だと思ったのでした。

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